店内に一歩足を踏み入れると、自家焙煎珈琲の深い香り。真空管アンプのヴィンテージなオーディオから流れるジャズの音色・・・。ここは安佐南区伴に位置する喫茶店ヴァンガード。故郷でもあるこの地に移転して32年。地元で世代を超えて親しまれている老舗だ。店舗裏の車庫に収まっているのは、“ビキニトップ”と呼ばれるショートボディの幌(ほろ)付きの初代パジェロ。オーナーシェフの瀧村さんに、この愛車とともに過ごして来た歳月について、持ち前のジョークを交えながら語っていただいた。
一生乗るつもりの“遊ぶためのクルマ”
最初のお店が堺町(広島市中区)にあってね。17席ぐらいのお店だったね。結婚して今の伴の場所にお店を移転して、やっと落ち着いたころにクルマを買おうと決めていて、一生乗るつもりでモデルサイクルが長い四駆にしようと。パジェロは牽引用のカーゴがあったり、遊ぶためのオプションの種類が多いから気に入って。山道を走るのが好きだったから、細い道でも取り回しの良いショートボディの“ビキニトップ”を選んだんだよね。パリダカでも強かったし「パジェロ」という名前の響きが好きだったね。昔の山道は舗装していない所が多かったからアンダーガードもつけたんだよね。
「走っている」実感を今でも伝えてくれる。
新しいお店は予想外に流行って、休みが月に1回あればいい方で。そういう休みの日は決まって、パジェロで山の中に向かってね。人を相手にする仕事でしょ。休みの日ぐらいはひとりになりたかった。休みの度にアウトドアに行ってたよね。自然の中に入って幌を外せば空も見える。海にもよく行った。砂浜でスタックして動けなくなった若者をウインチで牽引して助けた思い出もあったね。トルクが強いから、跳ねるような悪路でも安心できるクルマだよね。今もよく走るね。飛ばさなくても「走ってる」って実感があるのがいいよね。同世代のクルマが減ってきて部品がだんだんなくなって、三菱の方も整備には苦労しているみたいだけど、それでも完璧に作動しているのがうれしいね。幌なんかは自分で補修したりしてるんだけどね。
野球少年が偶然出会った、ジャズのきらめき。
ジャズと出会ったのは高校時代だね。それまでは野球少年だったの。進学した高校でも野球部に入ったんだけど、その野球部のレベルが高くて「これは無理だな」と思ってたら、隣の席にいた奴が「ブラスバンドに来いよ」と。サクソフォンが空いているからと。何も知らずに部室に遊びに行ったら、これはカッコいいぞと。それでサックスを始めたんだよね。高校三年生の時にテレビで渡辺貞夫が吹いているのを見て感動して「ブルースのフレーズってこういうことなんだ」と気づいて、ますますのめり込んじゃったね。
サックスを積んで自分探しの日本一周。
喫茶店を始めたのも偶然だよね。もともとはサラリーマンをやっていて、あまり性に合わなくて辞めちゃったの。24歳で辞めて3年ぐらいはいろいろな経験をして。思い出深いのは日本一周かな。安い中古車を買って毛布とサックスを積んで日本中を数ヵ月かけて回った。河原でクルマに寝泊りして、そこでサックスを吹いたり。帰ってきたら友達が喫茶店をオープンするという話があって、それを手伝い始めて、包丁を研いだり、厨房に入ったりしているうちに「なんだか面白いな」と。それがきっかけでこの世界に入ったんですよ。
前に進んでいく目標を持ち続けていたい。
このお店を建てた時、1階にライヴができるステージを作って、2階を観客席にするつもりだったんですよ。でも消防法の関係で難しくてあきらめたままで。だから、またステージを作りたいという気持ちを最近持ちはじめたの。今っていろいろ難しい時代でしょ。そんな時こそ何かに向かって進んでいくのは大事だと思う。だから「ステージを作る」という目標を持って、みんなが喜んでくれる機会をつくっていけたらいいよね。
星空を見上げながら、ジャズに浸るひととき。
サックスの演奏は若い頃にあきらめちゃったけど、ジャズを聴くのはずっと好きだね。ヨットに凝っていた頃は瀬戸内海にセーリングに出て、真っ暗な海の中でひとりでジャズを聴くのが楽しかった。パジェロでもよく行ったよ。知り合いが持っている別荘を借りて、静かな湖畔にパジェロを停めて、幌を外してオープンにして夜空を見上げながら音楽を聴く時間は格別だったね。31年、一緒に過ごしてきたけれど、若い頃の日本一周を思い出すと、あの時代にパジェロだったらなぁと思うんだよね。だからいつか、パジェロでもう一度、昔走った長野とか岐阜の山道に行ってみたい。山の中にひっそりとある秘湯に入ったりとかしてみたいね。やっぱりこのクルマが好きなんだろうね。